戦前に一世を風靡した白菜

白菜

今年の冬は、例年になく厳しく冷え込む日が続く。そんな東北の冬の食卓を飾る鍋料理の具として、白菜は欠かすことのできない野菜のひとつだ。この白菜、宮城県が発祥の地だという。

「仙台白菜」の歴史は、今から100年ほど前にさかのぼる。日清戦争や日露戦争に従軍した兵士が、現地で食べた白菜があまりにもおいしかったので、その種を日本に持ち帰ったと言われている。

その後20年近い年月をかけた思考錯誤の研究のすえ、種の採取に成功したのが宮城農業学校(現在の宮城県農業高等学校)に勤務していた沼倉吉兵衛氏。他の菜類との交雑を少なくするため、松島湾内の馬放島で隔離栽培をして種を育てた。「松島系白菜」は、日本の白菜の原型の一つである。

これをもとに、渡邉頴二氏によって育成され、大正13年に「松島純2号」、昭和18年に「松島新2号」の優良品種が生まれた。「仙台白菜」の名で東京など全国に出荷され、戦前の生産量は日本一だったという。

「仙台白菜」は、甘味があって柔らかいのが特徴。そのため現在の白菜よりキズ付きやすいうえ、病気にも弱かった。また戦争中は、米などの主食重点主義が影響し、白菜の生産量は減少していったという。

しかし近年になって、甘みを活かした漬物など「仙台白菜」のおいしさや価値が見直され、宮城の伝統野菜として再注目され、栽培が復活している。

特に震災後、農作物の中でも比較的塩害に強いとされる白菜を活用し、農家の生産基盤を復活させる取り組みとして進んでいるのが、JA全農みやぎとみやぎ生協との共同企画「みんなの新しいふるさとづくりプロジェクト」である。

現在流通している品種の白菜と共に、100年にわたる食文化の歴史持つ「仙台白菜」を、宮城の伝統野菜として、また復興のシンボルとして、地域の活性化と新しいふるさとづくりへつなげる試みが始まっている。

参考資料:『ハクサイの絵本』農文研/発行

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