[巻頭言] 2年目は復旧と復興の間の「踊り場」。見通しを持って乗り切ろう

1996年、メキシコを訪問した。阪神・淡路大震災から1年の神戸にいた私は、これからの被災地がどうなっていくのかを知りたかった。1985年に多くの死者を出したメキシコ地震から10年。そこには、財源を世界中から調達して多様な復興住宅が建つ一方、「この地で暮らし続けたい」と仮設住宅で暮らし続ける人もいた。10年経てばそれなりに復興するものだという「安心感」と、復興は外部からの支援を得ながらも、被災地で暮らす人々の手によってしか成し遂げられないのだという「現実感」を、強く確認した旅だった。

東日本大震災からの1年間、私は被災地のNPOや商店街の方々とともに、何度か神戸を歩いた。先週も被災3県の大学生とともに神戸を歩き、関西の学生とこれからの復興について考える機会を持った。「17年後の被災地」を実際に歩いていただいたり、17年間復興に関わってきた人々と会話していただくことで、私がメキシコで感じたのと同じ「安心感」と「現実感」を、東北の方々とも共有できたのではないかと思う。

地域の事情や産業、災害の種類や規模による違いはあっても、過去の災害から共通点を見いだしながら向こう10年の見通しを立てることできれば、これからの復興に向かう心の準備ができる。被災地に見通しがあれば、外部からもさまざまな力を借りることができ、復興を加速させることができる。

過去の災害復興事例から考えると、復興元年とも言われる被災地のこれからの1年はたいへん重要だ。壊れた住宅が撤去され道路や電柱が復旧し、仮設住宅や仮設商店街などが立ち並んだ最初の1年と違い、2年目の被災地は多くの人が復興への歩みが止まったのではないかと感じやすい。復興住宅などで新しい生活を始められる人はまだ少なく、多くの人は仮設住宅で丸1年過ごすことになる。

「復旧」と「復興」の間には、目に見える変化を感じにくい「踊り場」のような期間があるのだと思う。「踊り場」のただ中にいるときは、このまま取り残されていくのではないかという焦りも出る。しかしこの期間の論争や助けあいが、後の復興において重要だったと思えるときが必ず来る。ハードのまちづくりが進まなくても、コミュニティの再構築や、生きがい・仕事づくりなど、この時期に重要な仕事はたくさんある。復興の道のりはまだまだこれから。見通しを持って、2年目を乗り切ろう。

書き手:
田村太郎 一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事、復興庁上席政策調査官[非常勤]

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