神楽を泊める「宿」と呼ばれる家では、獅子頭を奉じて舞う権現舞で土地神に挨拶をし、集落の家々を巡り祈祷する。家人は米やのし袋を盆に載せて待ち、権現様に頭や肩・腰等を咬んで貰う「身固め」を受け、これで今年も健康だと喜ぶ。数百年もの間沿岸の人々に受け入れられてきたこの巡行も、今や久慈から釜石の間でしか行われていない。
神楽は、江戸時代まで山伏が主宰する生業であった。山伏は神仏混交の修験宗で、神楽を行える範囲が限られた。その範囲を「霞」と言う。しかし黒森神楽は宮古の黒森神社を起点に霞の範囲を広く超え巡行を行った。度々他の修験から訴えられたが、南部藩の庇護で継続された。もう一つの特徴は、各地から神楽衆が集まることだ。現在、神楽の多くは集落や氏子達で形成されるが、黒森神楽は、岩泉・旧田老・宮古・大槌から参加。つまり神楽上手の集団で、個々人は集落でも神楽や剣舞・鹿踊など芸能の達人だ。一方、鵜鳥神楽は明治の修験道廃止以降、広い信仰圏を背景に巡行を行った。黒森と鵜鳥は、漁業者に篤い信仰心で迎えられてきた。
そこに震災が起きた。甚大な被害に巡行が危ぶまれたが、黒森神楽は1月から3月まで宮古から久慈まで巡行。鵜鳥神楽も神楽衆を一人失いながらも行った。
黒森神楽は、巡行が終わると各地の祭礼に奉納する。4月は、被害が大きかった重茂半島音部で挙行された。8月にかけて大漁祈願の祭礼が続き、7月は、黒森神社例大祭だ。
震災以後、民俗芸能が各地で甦り、地域の心の支えとなっている。地域の復興は心の復興から既に始まっているのかも知れない。
(文/東北文化財映像研究所・阿部武司)
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