福岡市・元玄界島復興担当職員にインタビュー
島民の合意形成と計画案だけでは、復興は成されない。行政と話し合い連携してゆくことが必須となる。島と市の連携はどのように成されたのか。当時福岡市の玄界島復興担当であり、現在は都市づくり推進部・地域計画課の係長を務める藤本和史さんに聞いた。
担当部長が島へ往復400回。
同じ目標へ、島民と行政がタッグを組んだ実感
玄界島の復興を可能にした一番の要因は、島民の団結力・まとまりの強さでしょう。その力に大いに奮起させられ、私どもも懸命に取り組むことができました。島民と行政で、互いができること・得意なことを懸命にやり、いい意味で利用し合いながらタッグを組めたのではないかと思います。
行政の得意分野としては、法律関係や国・県との折衝をはじめ、他の震災復興事例の調査分析や、インフラ周りの調整でした。土地の買い取りでは、土地の登記簿名義がもう何代も前の先祖の名前のケースが多く、親族をつたって相続関係者に1人1人会いに行き、島の現状や復興事業を理解して頂き、相続処理を行いました。
あとは、当時の上司、須川哲治復興担当部長の人柄やリーダーシップもあったかと思います。部長は島のリーダーたちと同じくスピードが大事だと感じ、そのためにも島の人々との信頼関係を築こうと、事業期間中に400回も島を往復しました。また部長はじめ市の職員と島の復興委員で、阪神・淡路大震災の復興事業を視察したり、国等への陳情に同行したりしました。特に部長が気を配っていたのが、島の代表者とコミュニケーションをとることでした。被災から約1年間、復興事業計画を取りまとめるまでは、ほぼ毎週末開催される復興委員会の前日に、委員会の会長らと会議の資料やその後の事業の進め方について、事前調整を行っていました。また、部長は復興事業が軌道にのってきた頃から、島のお母さんたちとコミュニケーションをとり、元気をだしてもらうために和太鼓を教えはじめました。今ではその太鼓グループも玄界太鼓として発表会に出場するくらいの腕前になっています。この取り組みは部長自らが個人で始めたことですが、島民の方々の心をしっかりとつかみ、行政に対する信頼と島民と行政の絆を大きくしたきっかけでもありました。
とにかく復興委員の皆さんには、反対者への説得も含めた合意形成やアンケートの配布・回収など、行政のみで対応するには困難なことを、島民との橋渡し役となって、本当に助けていただきました。住宅の買い取り査定(補償金算出)のために、市職員が各被災住宅の調査を行ったときは、復興委員の方が「職員さんが住宅の所有者から色々な要望や苦情を言われたりしないように」と言って同行してくれたりもしました。そういう、細やかな気配りのできる人ばかりでしたね。
島に行った際、海がシケて帰りのフェリーが欠航になることもありました。そうすると事務所に泊まるのですが、大抵島の人が「今日は泊まるとやろ?魚持ってきたけん」とやってくるんです。もちろん酒の瓶も持って(笑)。そこでやはりぐんと距離が縮まったし、率直にお互い考えていることを話し合えました。とてもいい思い出です。
須川部長は言っていました。「役所では過去の前例に倣って仕事をするのが得意だが、震災復興ではそれが通用しない。場面ごとの創意工夫と、住民の想いを受け止めベストを尽くす姿勢が必要だ」と。その通りだと思います。
玄界島の復興までの歩みを詳細に記載した記録誌は、市のホームページ上にほぼすべての資料をアップしています。よろしければ活用ください。
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