阪神淡路大震災は、後に「ボランティア元年」として記憶されました。今回の大震災では、さらに組織ボランティア(NPO)と企業の大きな役割が認識されました。
避難所での炊き出しや津波被害地でのがれき片付けなどに、たくさんのボランティアが入ってくれました。しかし、個人ボランティアには限界もあります。それら個人を誘導してくれるNPOが必要でした。また、仮設住宅の運営や孤立防止、まちづくりの意見集約のお手伝いなどは、組織ボランティアでなければ、うまく行きません。
企業活動がなければ、生活が復旧しないこともわかりました。コンビニ、ガソリンスタンド、宅配便。どれが欠けても、とても不便な生活になります。企業も、被災地への支援と本業の早期復旧にがんばってくれました。企業の社会的責任(CSR)という言葉は、阪神淡路大震災の時には、認知されていなかったのです。
さて、発災以来一年三か月が経ち、次なる時期に来ています。住宅を移転するのか、どのようなまちを造るのかを、決めなければなりません。道路や上下水道などの公共施設は、行政が責任を持ちます。しかし、暮らしていくには、医療や介護といった公共サービスと、商店や飲食店などの商業サービスが必要です。そして、まちの賑わいは、働く場所があるかによって決まります。さらに、コミュニティーなどいろんなつながりがあることで、人は安心して暮らしていくことができます。
このように、まちの暮らしを、行政だけで復興することはできません。企業やNPO、町内会、さらには同窓会やママさんバレーといった集まり(中間集団)も、重要な主体であり仕組みです。
公共空間は、行政が支えているのではありません。社会は、官=政治システムと、私=市場経済システムと、共=ボランティアシステムの三つで成り立っています。それぞれが、得意分野を受け持つのです。企業活動やボランティア活動への期待は、大きいのです(拙著『新地方自治入門』(2003年、時事通信社)第八章参照)。
復興庁では、ボランティア連携班と企業連携班をつくりました。復興の場で、NPOや企業と連携し、いかにうまくまちと暮らしを復興させるか。誤解を恐れずに言うと、私は、これからの「公」の新しい形をつくる実験の場と考えています。それは、行政が自らの限界と、得意分野への集中を考える場でもあります。
これら連携班は、まだ活動を始めたばかりで、手探りの状態にあります。復興庁のホームページに、欄を作りました。ご覧になって、具体的な提言をお寄せ下さい。
(文/岡本全勝 復興庁統括官)
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