3月11日のニュースを受けて神戸の仲間達は、いても立ってもおれない心境でそれぞれ、当てもなく被災地に向かった。私は、被災した友人がいたこと、阪神淡路で一緒に苦労した友人が避難所支援をしていたことなどから、気仙沼市と関わり始めた。現在、市内5地区で高台移転の支援、中心市街地2地区で復興まちづくり支援を続けている。単純なことではあるが、毎月のように顔を見せることが信頼につながる。全国自治体で唯一まちづくり専門家の派遣制度を立ち上げた、兵庫県のバックアップがあってこそである。
被災者支援の枠組みが決まり、いくつかの地域で具体的な復興の道筋が明らかになり始めた。その一方で、先の見えない被災者達は、乗り遅れや取り残され感に取りつかれ始めている。今の段階で大きな課題は2つある。1つは、被災者の自発力である。長い復興のプロセスを耐えるには、自分が復興の主体であるという自覚と誇りが必要である。阪神淡路では、多くの自主再建(デベロッパーの手を借りない)プロジェクトを実現することが出来た。出来ることは自分たちでやる。資金が足りないのでみんなでお金を出し合って事業基金を作ったこともあった。自力でやったという達成感と、そこから生まれた自信や誇りは消えることがない。関わった専門家も大きな勇気をもらった。長丁場の復興を乗り切るためには、自分たちが主人公であるという強い想いが欠かせない。東日本でもそのような自発の連鎖(自発→達成感→自信・誇り→新たな発意)を起こすことが重要だ。
もう1つは、被災自治体の復興への取り組み姿勢である。充分な情報提供が出来ていないにも関わらず、被災者に性急な判断を迫ることが目について仕方ない。被災者は、何も判らない可哀想な人々ではないし、行政にお任せすれば自分たちの望むものが実現するものでもない。何が自分たちにとって最良の選択なのか。それを知るためには、情報を集めてじっくり考えるしかない。焦らず、必要なら回り道も恐れず、熟慮に熟慮を重ねて最良の結果を導くことが重要である。特に防災集団移転のような任意事業では、被災者に寄り添い課題を解決する専門家の存在が不可欠である。
不遜な言い方になるのを恐れずにいえば、災害復興は壮大な社会実験である。10年後、20年後、我々はどのような社会や成果を生み出し得たのか。その問いは常に頭上にある。
(野崎隆一 NPO法人・神戸まちづくり研究所理事、ひょうご市民活動協議会代表)
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