[巻頭言] 釜石市 嶋田副市長「現場とともに、ゆるく前向きに連携し、各自の持ち場を盛り立てよう」

嶋田賢和

嶋田賢和 (しまだ よしかず) 2007年財務省入省後、震災後の2011年6月に釜石市役所に派遣。総務企画部総合政策課、復興推進本部を経て2012年4月より釜石市副市長。副市長としては全国最年少。

東日本大震災から1年と7か月が経過しました。改めて、全国の皆様のご支援と、関係各位のご尽力に感謝申し上げます。

ご承知の通り、現地での当面の課題は住まいの整備です。今なお多くの方々が仮設住宅での生活を余儀なくされており、また高齢世帯を中心に、金銭的な理由などから自宅再建ではなく公営住宅への入居を選択される方々は少なくありません。仮設ではなく「本設」のお住まいを一刻も早く提供し、「普通の生活」を取り戻す。そのために必要なのは土地であり、各集落で土地の算段をつけ、権利関係を整理し、個々の地権者さんにお願いに上がる。現在、被災した自治体は、復興事業の一つの山場に差しかかっていると認識しています。

同時に、生産と消費のサイクルを再生し、また、医療や公共交通といったサービスを再設計する必要があります。いわば、暮らしの整備、ということでしょうか。生活の潤いも忘れてはいけません。公民館や公園といった施設はもちろん、地域のお祭りや各種イベントといった、賑わい・集いの再生も不可欠です。

このように、「普通の生活」は実に多彩であり、再生すべき項目を整理するたびに、改めて、東日本大震災で失ったものの大きさを痛感します。

あわせて、震災により顕在化した、震災以前からの課題に向き合う必要があります。少子高齢化や地方財政の悪化の背景には若年層の流出があり、地域に留まってもらうための雇用の確保は喫緊の課題です。釜石市においても、震災以前から企業・工場の誘致に努めてきたところですが、企業の国内設備投資比率が減少傾向にある、といったマクロ経済環境の変化に対し、自治体が取りうるうち手は限られています。他の地域との差別化が困難な補助金施策をやみくもに実施するのではなく、すでにある資源を生かし、産業・雇用の芽を育てるとの着想も大切かもしれません。釜石市では、水産業の6次産業化や環境・防災ツーリズムへの取り組みが始まっています。今から約150年前、釜石の地に日本で最初となる洋式高炉を建造し、本格的な製鉄を実現した大島高任(おおしま・たかとう)は、小さく産んで大きく育てる、を事業実施の考え方の基本としていました。釜石の地で、近代製鉄の父の教えに学ぶこと多です。

また、申し上げるまでもなく、現地には引き続き守らなければならない方々が大勢いらっしゃいます。独居高齢者、子育て世代、今なお立ち直れない方々…。被災した一人一人に寄り添いながら、上滑りすることなく、復興を推進させなければなりません。

こうして考えると、課題はパズルのように入り組んでおり、他流試合の様相を呈しています。これはすなわち、あらゆるアクターに関与と貢献の機会があることの証左ではないでしょうか。寄せ手は、やれることを何か、楽しく前向きに継続する。もちろん、現地の文脈とニーズを最大限尊重。受け手は、街をひらき、変化をおそれず、世界中の知恵と活気を取り入れていく。

皆で緩くつながりながら、各々の持ち場を盛りたてられればと思っています。引き続き、どうぞよろしくお願いします。

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