インタビュー先:山内 正文さん
福興市 実行委員長
株式会社ヤマウチ 代表取締役社長
南三陸町の復興に商人として寄与したい
Q.町の復興における「福興市」の効果を教えてください。
南三陸町は産業復興のために、主に2つの取り組みを行っています。一つは仮設商店街の運営、もう一つが毎月実施している「福興市」です。芸能人のライブや花火などで集客し、出店者が食べ物やお土産を販売します。昨年4月から毎月1回行い、今年11月で20回目となりました。目的はズバリ、地元商店が儲けること。皆でお金を貯めて一日でも早く本商店街をつくり、住民をこの町に呼び戻したい。震災直後から続けたおかげで平均1万2千人〜3千人、多いときは2万人が集まる一大イベントになったため、商店も一定の売上を確保できるようになりました。現段階では成功と言えるでしょう。
Q.地域の方を上手く巻き込む成功要因はなんでしょうか
震災前から築いてきた連携体制のおかげでしょう。まず福興市の開催は、全国の商店街とのネットワークが後押ししてくれました。震災前から、他地域の特産品を販売するイベントを行っており、産業を軸にしたつながりがあったのです。1回目の復興市の開催時は、テントやイスなどの備品、販売する商品など、すべて全国の商店街が用意してくれました。
また南三陸町では、震災前から商店主導のイベントを多く開催していました。でも事業者が軸になりながらも、例えば10月の「大漁市」は中学1年生が、2月の「かき祭り」は推薦入学が決まった中学3年生が運営を手伝う、といったように、地域の方が参加できる仕組みがあったのです。この連携体制のせいか、震災後にできた避難所の多くは、事業者がリーダーをしていたんですよ。
Q.場の中心にはいつも事業者がいます。南三陸町の復興は産業主導型なのですか。
そう見えるかもしれませんが、私はそうは思いません。南三陸町は役場が海のそばにあり、多くの職員さんがお亡くなりになりました。避難所の運営など、本来は役場主導でやるべきことが手薄になったため、私たちはその代わりを担ったにすぎません。
産業界から地域のお役に立てることは沢山あります。たとえば 、震災後に地域づくりの団体を立ち上げたのですが、その事務所として、杉の木で家を造りました。南三陸は杉が有名ですから、林業の再生にもなり、町民にも仕事が生まれるきっかけになればと思ったのです。自分だけでなく、町全体で前に進みたい。それが私にできる町づくりだと思います。
【(株)ヤマウチ 山内 正文社長プロフィール】
地元で長年続く「山内鮮魚店」を経営する傍ら、南三陸町の産業を盛り上げる「福興市」を毎月開催。また㈳南三陸福興町づくり機構を立上げ、地域に寄与する産業育成にも力を注いでいる。