福島第一原発の事故により、小中学生約3万人のうち最大時で約2万人が市外へ避難したいわき市。3校の小中学校が原発の影響で利用ができなくなるなど、震災直後の教育現場は大きな混乱をきたした。こうした中いわき市教育委員会は、人づくりこそが復興へむけた最大の原動力であると、20〜30年先を目指した人材育成に取り組むことを決意。民間企業やNPO団体と連携し、既存のカリキュラムを超える新たな教育施策を次々に遂行、いわき市を支える復興人材の育成に踏み出している。
文部科学省が推進する「創造的復興教育」。文字通り「何もなくなった」地域に新しいものを生み出す、復興を担う人材を育むために、学校と大学やNPO、ボランティア等多様な主体が恊働する教育プログラムで、従来の公教育の目的や手法にとらわれない形で実施される。昨年の第3次補正予算で設けられた国の事業は、被災地からのニーズが強く予算額の3倍の申請が寄せられた。被災地における新たな息吹に加え、日本の未来を形成する新しい教育モデルの誕生が期待されている。
その先進事例がいわき市にある。震災以降、従来の学校教育に加え、NPO団体等と連携した新たな教育の場を設けている。これらの場が、危機に直面した子どもたちから、新たな挑戦と創造性を引き出しているという。
周囲が舌を巻く圧倒的な成長
子どもたちが復興の主役に
新たな教育活動の核となるのが、いわき市内の中学校の生徒会長を集めて行う「生徒会長サミット」だ。他地区の生徒会長との交流と共に多彩な活動に取り組むもので、昨年の夏からスタートした。
子どもたちに大きな刺激を与えたのが、長崎市の生徒会長たちとの交流だ。長崎市からの招待により、いわき市内の中学校から43名の生徒会長が長崎市の平和祈念式典に出席。加えて、長崎大学による放射線教育や原爆資料館の訪問等を通じて、原爆被害から立ち上がった長崎市の底力を実感した。結果として子どもたちのなかに、「自分たちには語り継いでいく責任がある。自分たちの故郷を復興させたい」という強い思いが芽生えたという。
復興への思いは、具体的な言動になって現れた。そもそも東北の子どもたちは内向的で意見や目標をあまり口にしないが、長崎訪問後は自らの夢を堂々と語るようになったという。
「長崎市は66年前の困難を乗り越えてすてきな都市になっていた。そのように、何年かかってでも東日本大震災で被災した福島県・いわき市は、すてきな都市に変われると信じている」
「原発も転換の時を迎えています。この学びを必ずいわきの復興に生かし、いつの日か、今度は長崎の皆さんを招待し、いわきの、福島の復興を見てもらいたいと思います。」(生徒感想)
強い主体性は学校生活にも好影響を及ぼし、授業やクラブ活動などへのコミットメントも深くなった。わずか5日の訪問だったが、参加者の意識は「子ども」から「復興の主役」に大きく変化したという。その後も様々な活動を続けて今年1月、子どもたちは総括となる場で教職員向けにこんな「宣言」を提出した。
「はばたこう 〜いわきから、日本へ・世界へ・未来へ〜」
そしてその勢いは、2期目となる今年の生徒会長サミットでも継続している。9月には韓国を訪問、現地学生との1週間の交流プログラムで、5日目には震災の状況や自分たちの活動を報告する場を設けた。なんと最初の4日間で韓国語を学び、毎晩夜遅くまで資料を作成し韓国語でプレゼンをしたという。
子どもたちの見せた強い主体性と充実した成果を見て、いわき市教育委員会教育部次長の佐川秀雄さんは「短期間でこれほどまで成長するとは。彼らが20〜30年後に活躍する人材になることを確信した」という。
<いわき生徒会長サミット第2回全体ミーティング>
11月に行われたこの会議には、44中学校から生徒が集まった。各校からのプロジェクト報告や進行中プロジェクトへ向けた協議が行われた会場は子どもたちのエネルギーでいっぱいとなった。なお、司会進行や全体のサポートは、ボランティアで集まった昨年の生徒会長サミットメンバーである高校生(シニア会員)が行った。
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