浜を超え、町を超えてつながり始めた挑戦者たち
「復興だから、被災地だからでは、もう売れません」仙台市内のとある会議室。冒頭から厳しい言葉で会は始まった。4月15日と16日、2日間にわたって行われた「三陸フィッシャーマンズキャンプ」の一コマだ。第3回目となる今回、岩手、宮城、福島の各地から、変革に挑む漁師や水産加工業者たち計20名が集まった。
オイシックス社の商品開発部長からのマーケティングやバイヤー向け商談ノウハウに関するレクチャーに加え、参加者によるそれぞれの商材のプレゼンテーションが行われた。講師陣から「強みが活かされていない」「間違ってもそうやってスーパーに売り込まないで」など厳しいつっこみが飛ぶ。ディスカッションのコーナーでは「いかに顧客リピート率を上げるか」といったテーマで参加者同士が自身の経験を共有した。
「キャンプの目的は、学びに加えてネットワークづくりです」と話すのは、場を企画した東の食の会事務局長の高橋大就(だいじゅ)さん。新たな取り組みを始めると、既存のコミュニティから疎まれ地元で生きにくくなることもあると言う水産業の現場。隣の浜同士でいがみあうような話を聞くことも少なく無い。「ここには、新たな挑戦のために立ち上がった人々が集まっています。彼らがこの場を通じてつながることで、自分たちだけではないと苦しい時も踏ん張ることができるようになれば」。高橋さんは言う。
震災前から担い手不足が深刻だった三陸の水産業。ここで生まれたネットワークが地域を越えた連携を生み、産業全体の発展へつながっていくのだろうか。
顧客の声を生産現場へ反映
【宮城県】「カキ屋の大ちゃん」佐藤清之さん
今年1月から「カキ屋の大ちゃん」の屋号でヤフーの通販サイトを始めた、牡蠣漁師の佐藤さん。以前は消費者の顔を意識することなど無かったという彼がインターネット販売に乗り出したのは、地元石巻市牧浜(まきのはま)の復興が大幅に遅れているから。まだ牡蠣の処理場は復旧されておらず、漁協ルートでの出荷ができない状態なのだ。
開始して4ヶ月。顧客から直接届く声に手応えを感じ、今ではFacebookで熱心に情報発信を行う日々だ。一方、水産業の復興に関して六次産業化の言葉を聞くことが多い中、「漁師は物を作って提供するのが本来の仕事。情報収集や営業などまで手を掛けてしまっては負担が大きくなる」と言う。専門的な事はヤフーのようなパートナーと連携しながら、自身は生産に専念するのが佐藤さんの描く六次産業化だ。
「大切なのは、生産現場に消費者の声を活かすこと」。安心安全面への配慮はもちろんのこと、生産現場の改善や試行錯誤を重ねて、牡蠣1粒ひと粒の価値を高めている。そのためにも消費者との直接の接点が重要と言う佐藤さんは、朝獲った新鮮な牡蠣を軽トラックに載せての移動販売の計画も立てている。
震災前は消費者を意識したことが無かったという一人の漁師が、まったく違う意識で海に向かい牡蠣を育てている。新しい三陸の水産業は生産者の意識の変化から始まるのではないだろうか。
新しいホヤ拠点を三陸に
【宮城県】(株)三陸オーシャン 木村達男さん
ホヤおやじの愛称で親しまれる木村さんがホヤを材料とした加工会社を設立して今年で9年目になる。宮城県は全国のホヤ生産量の実に8割を誇ったが、震災でほぼ全てのホヤが失われた。現在は北海道から材料を仕入れ赤ほやを使って塩辛やジャーキーなどの商品を販売しながら、ホヤの普及に全力を注いでいる。
そんな木村さんが新たな取組みとして現在計画しているのが、新たなホヤの拠点づくりだ。ホヤに特化した加工施設をベースとしながら、六次産業化を推進する為の研究開発機能を持たせる。そして、漁師料理が食べられる食堂を併設するとともに、ほやクルーズなどの観光ツアーを行う拠点にする。加工施設に外部との交流機能を持たせるこの形を、今後の新たな三陸水産業のひとつのモデルケースにしたい考えだ。
「2007年に石巻で開催した『世界ほやエキスポ』には8千人が来場し大いに賑わった」「世界中に2千種類あるというホヤのうち食べられているのは3種類だけ。しかも食べているのは4カ国だけ」。木村さんはホヤの無限の可能性を強調する。来年の夏からは、震災後に種つけされた復興ホヤの水揚げが始まる。ツウ好みのこの海産物が生まれ変わり、新たな三陸水産業の代名詞となることができるかは、「ホヤおやじ」にかかっているのかもしれない。
どんこボールで相馬復活の狼煙を上げる
【福島県】沖合底引き網漁船「清昭丸」船主 菊地基文さん・飯塚商店 飯塚哲生さん
原発事故の影響により操業の自粛が続いている福島県の沿岸漁業。昨年6月より安全性が確認されている一部の魚種を対象とした試験操業が開始された。復興へ向けた一歩ではあるものの、何年後に本格操業を再開できるか先が見えない状態が続いている。
現在は東京電力からの営業補償金もあり試験操業も一部の漁師が参加するのみだが、「このまま待ってるだけでは駄目になる」「若い奴らに背中を見せたい」と新たな挑戦を始めた男たちがいる。漁師の菊地基文さんと、魚問屋を営む飯塚哲生さん。幼なじみという2人は、地元相馬市の特産品でもあった「どんこ」を使用した加工食材の開発を開始した。「とにかく肝が美味い」というどんこ。肝と身を一緒にたたいてボール状にしてつくる「どんこボール」は、船の上で11年間まかない担当だった菊地さんが自信を持って紹介する漁師料理だ。「いわしなどの青物との違いは、独特のやわらかい白身と肝の脂がつくるふわふわした食感。たまりませんよ!」
相馬市では現在どんこは水揚げされておらず、原材料は北海道や青森から仕入れている。地元のスーパーでも見ることは無くなったどんこだが、地元の食文化をつないでいきたいと言う。3月末に行われたイベントではどんこボールを入れたどんこ汁を販売し、用意した250杯が即座に完売して手応えを感じている。「これから福島の水産業において加工の重要性は高まるだろう。漁に出れない今だからこそ、新たな挑戦の時だと思う」逆境の中から生まれる新たな価値の今後を見守って行きたい。
文:葛西淳子
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菊池さん 飯塚さん がんばってるね(^_-)-☆