佐藤美南(さとうみな)さん(16)は語り始めた。少し幼さを残すような声…でも、それは力強く、張りがある。この日、東京から南三陸を訪れた団体を案内し、最後に、自分が震災時発生時にいた南三陸町志津川(しづがわ)中学での自身の震災体験を語った。
当時、中学2年生だった佐藤さんは、翌日の卒業式の準備をしている時に震災に遭い、そのまま体育館で一晩を過ごした。「広場があるんですが、どのルートを通って逃げたか全然覚えてなくて、今でも思い出せません。涙が出てきて、友達や先生の声も聞こえなくてパニックで、しゃがみこんでいました。少し落ち着くと、余震が続いていたんですが体育館に戻りました。30分くらい経つと町の人が避難してきて、これから『なじょすっぺかな』(どうしようかな)って話しているのが聞こえました」。
その日は、家族の安否がわからず、覚えているのは「星がすごくキレイで、オリオン座がすごくはっきり見えていたこと」。そして、その星を、母と幼い頃に一緒に見たことを思い出していたことだった。
佐藤さんは、震災後、6月に家族で内陸の岩手県一関に引っ越した。新しい学校で友達もできたが、一方で、毎日を楽しいと思えない自分がいた。震災前は、「田舎から早く出たいわぁ」と口にすることもあったが、離れてみると生まれ育った志津川をすごく好きな自分に気がついた。親に何度も「帰りたい」と伝え、翌2012年7月に志津川に戻ってきた。そして、いざ戻ってみると「それだけで良いの?
志津川のために自分にできることはない?」という思いから、学生団体「まずもって」の先輩から誘われたのをきっかけに、語り部を始めた。団体の正式名称は、「まずもって、かだっからきいてけさいん」。……とりあえず語るから聞いてくださいを意味する南三陸の方言から来ている。
参加者は、自分の半分にも満たない年齢の子の体験に耳を傾けた。今、当たり前だと思っていることは、ある日突然大きく変わってしまうかもしれないこと……というメッセージ。佐藤さんの財布の中には、震災で亡くなった大好きだったおばの財布から見つかった写真が入っている。3歳の佐藤さんとおばさんが写っている写真だ。
参加者の一人が最後に「今は志津川のどこを自慢に思いますか?」と質問した。佐藤さんは笑顔で答える。「みなさんが、振り返ったら見える、この景色です」。話を聞いた志津川中学は丘の上にある。海があり、奥に山が見える、リアス式海岸特有の風景だ。「これがすごく自慢です」。
写真・文=岐部淳一郎
Tweet
11月14日からボランティア活動で南三陸町に行きます団体「明治労働組合」(元明治乳業労働組合)の約15名~20名、最終日11月16日(土)の午前中に南三陸の震災についての話をお聞きしたいとの意向がありますので、是非、よろしくお願い申し上げます。
尚、時間的には60分ぐらいを予定しておりますが、大丈夫でしょうか。
ご連絡お待ちいたしております。
お願い:
石巻市牡鹿地区や門脇地区を中心にボランティア活動を継続している
那須烏山市災害ボランティアチーム龍JINキャプテンの小堀と申します。本活動の素晴らしさを実感しています。
震災後3年の節目を迎えるに当たって昨年も栃木の地元で心寄り添うボランティア活動を続けようという200名規模の集いを実施しようと考えています。
是非、ゲストとして本新聞に紹介されている学生に栃木県に今年3月に来てもらい生徒及び保護者対象に話して欲しいのです。
詳細の相談をする窓口を連絡いただければ嬉しいのですがよろしくお願いいたします。 以上
お願い:
栃木県那須烏山市災害ボランティアチーム龍JINキャプテンの小堀と申します。石巻市牡鹿地区や門脇地区を中心に現在もボランティア活動を継続しています。本紙紹介のこどもたちは素晴らしいです。
震災後3年目の節目がまもなくやってきます。風化させることがないように今年も私の地元栃木で心寄り添うボランティア活動を考える集いを3月中旬以降に200名規模の集いを計画しています。
できれば本紙紹介の生徒をゲストとしてお呼びして栃木の子供達と保護者に聞いてもらう集いにできれば嬉しいです。
そこで詳細を相談する窓口を連絡いただけますか。
よろしくお願いいたします。 龍JIN 小堀