「災害で夢や進学を諦める子供をうまないために」。
NPOカタリバが「コラボ・スクール」で挑戦したのは、行政・民間・NPO・地元民が垣根を越えて協力し創りあげる学びの場の実現だった。昨年7月の宮城県女川町に続き、12月には岩手県大槌町に第二校目を開校。一朝一夕にはゆかない教育という領域で挑戦を続けるカタリバの活動に注目した。
地域の今と未来に必要なものを
230人が学ぶ放課後学校
17時過ぎ、女川第一小学校。校庭の仮設住宅横に大型バス2台が停車した。バスを降りた子供たちは我先に校舎へと駆けてゆく。昇降口ではボランティアが子供たちを笑顔で迎える。ここは、被災した子供たちの放課後の学習を支援する場「コラボ・スクール 女川向学館」だ。現在町の小中学生の3分の1に当たる、230人が通っている。
運営するのは首都圏を中心に高校生へのキャリア教育を手がける「NPOカタリバ」。授業は無料で、16時から21時で4コマ、週6日。指導にあたるのは震災前に地元で学習塾を経営していた講師ら12人だ。一番の特長は、コラボ・スクールの名のとおり、塾講師・教育委員会・校長会・学校・父母・住民といった地元の人々と、ボランティアや運営スタッフ・寄付者などの外部からの人々が、それぞれの立場で協力し創りあげている点にある。
ニーズを知り、カタチを探る
カタリバ代表の今村久美さんは震災後、4月15日に被災地へ入った。何ができるのか、避難所で一緒に生活をさせてもらいながら多くの人に話を聞き回った。
5月、ある風景が彼女を立ち止まらせる。公園の炊き出しの裏手で、営業を開始したにも関わらずまったく客の入っていない飲食店。支援の中に隠れるひずみを感じたという。短期的に喜ばれても、長期的には現地を苦しめるようなことはしたくない。最初の頃は、たくさんの学生ボランティアがバスで巡回するような教育支援をイメージしていたが、違うと感じた。地域には昔から学習塾があり、経済性を伴って運営している。子供から見ても、大人になっても会いにいけるような身近な関係を教師と作れる方が、長期的には価値がある。そこで思いついたのが、地元の塾講師を雇用した、放課後学校だった。これなら将来講師が地元で塾を再開できるようになったとき自然に生徒が集まるような繋がりを描くことができる。
経験もない、前例もない
そんなとき、ある噂を聞きつけ女川町へ。住居倒壊率83%、建物はほぼ残っておらず、学習塾も9割流されていた。そこで目にしたのは、被災し住居も塾も失った講師が、寺や避難所などで無償で勉強を教えている姿。それが現在向学館で教鞭を取る講師たちとの最初の出会いだった。
もう1つは、女川町教育委員会の教育長、いわば行政のキーマンとの出会い。教育長は今村さんの提案書を見ると「今は子供たちのためにリスクをとらない方がリスク。前例がない試みではあるけど、ぜひやりましょう」と、すぐに以前あった学習塾を調べ繋げてくれた。その後教育委員会や校長会、地元の人々と協力の輪が広がり、生徒の募集は学校を通して行われた。
自分たちの強みを押し付けるのではなく現地のニーズに答えられるかどうか。まずは、1つ。小さなNPO組織として、小さく始めて成功モデルを作り、それを大きく発信するという戦略で被災地全体に貢献できるのではないかと考えた。