インタビュー先:後藤伸太郎さん
宮城県南三陸町 町議会議員
若い力で南三陸町を変革。防災教育と一体となったまちづくりを実現する
Q.圧倒的に若い町議会議員になられました
町議会議員の中で私は唯一の30代、他の15名の議員は皆20歳以上はなれています。南三陸町の選挙は親戚が多い人が当選するいわゆる田舎の選挙。慣例である街宣車も出さなかったため周りからは無理だと言われましたが、自身の考えを愚直に訴えました。それが結果につながったこと、そして若い人だけでなく70歳80歳でも強く共感頂けた方が多かったこと、嬉しく思います。
Q.選挙戦では何を訴えましたか?
一番は、防災教育をまちづくりと一体として行う必要性です。私は子供の頃、海から30秒の家に住んでいましたが、地震が起きたら高台に走って逃げるようしつこく言われ続けてきました。災害大国に暮らしこの震災を経験した我々は、100年先の命を守るためにも、こうした教訓を風化させては絶対になりません。
例えば今、元々防潮堤があった場所に公園を作る案が出ています。ここをただキレイに整備されたものにするのではなく、震災の爪痕や復興のまちづくりの経過を形として残し、体感できるものを作ろうという話をしています。様々な形で防災教育を充実させ、またそれを外に発信し、「防災を学ぶなら南三陸」と言われるような町にしたいと考えています。
Q.まちづくりへの若い世代の参加はいかがですか?
しがらみが多い町です。昔からいる声の大きい人の意見が通ってしまうことも多々あり、若い人が声をあげづらい側面も実際あります。でも、私は初の選挙を自分なりのやり方で勝ち、圧倒的に若い議員になりました。他の若い世代に「若造がこんな事やってもいいんだ」という雰囲気が生まれ始めています。
母はよく蛇口に例えて言いました。「水源(言いたいことや想い)はいっぱいある。それを吐き出す蛇口が無いだけだ」。私は1つの蛇口となり、若さを武器に議会でも発言、行動していきます。町の若い世代は想いを持っています。身近なものからでよいので、それを外に出していって欲しい。今はチャレンジを応援できる雰囲気が町にはあります。
Q.これからどのような町を目指していきますか?
被災地という看板をいち早く外せる町を目指します。町民一人ひとりが自身の道を決めて、一歩前に進み出す。その時、例え家や物質面ではまだ厳しい状況にあったとしても、その人は被災者ではなくなります。
そのためにも、とにかく目に見える形でそれぞれの復興事業を進める必要があります。少しずつでも展望が見え、町が動き出している感を出すことができれば、そこへ近づくことができると考えています。
【宮城県南三陸町 町議会議員 後藤伸太郎氏 プロフィール】
東京での劇団員生活の後10年に南三陸町へ帰郷。震災後は避難所や仮設住宅の自治会を先導。13年10月町議会議員に立候補し最年少で当選を果たす。1979年生まれの34歳。