ソフトの力でまちづくりを引っ張る コバルトーレ女川の「スポーツコミュニティー構想」【前編】

サッカーを通じて町を活性化させる「女川スポーツコミュニティー構想」を掲げて2006年に設立された宮城県女川町のサッカークラブ「コバルトーレ女川」。トップチーム(以下、トップ)とアカデミー(U-18、U-15、U-12、スクール)というJクラブと同形態の組織を持ち、人材育成も行う。トップの選手は地元のスポンサー企業などで働きながら、Jリーグ入りを目指している。

設立から8年目。コバルトーレは女川のシンボル、子供たちの憧れとなった。行政からの信頼も得、まちづくりを担うサッカークラブならではの活動背景を聞いた。

ここが原点だからな。よく見とけよ」。石巻市を一望できる馬っこ山の頂上。3年生が引退し新チームとなったU-15の初練習で、監督の中島礼司さんが選手たちに語りかけた。視線の先には大きな仮設住宅団地と、津波被害の爪痕の残る石巻市街が 。住宅に取り囲まれるように彼らの練習場、コバルトーレトレーニングパークがある。

選手たちはイベント参加やごみ拾いなどの活動を通じて、地域に溶け込んだ

選手たちはイベント参加やごみ拾いなどの活動を通じて、地域に溶け込んだ

馬っこ山へのランニングの後は練習場に戻りトレーニング。疲れた表情を見せる選手に中島さんが声をかける。「試合の後半、相手にボールを奪われた時の動きだからな」。きつい練習をただやらせるのではなく、なぜするのかを伝える。背景にあるのは、サッカーを教えるだけでなく、人間として育てるという意思だ。「サッカーは人生。整理整頓ができないとか、ちゃんとしていない人間はサッカーにもそれが表れる。この先サッカーをやめたとしても、一人の人として通用する人間を育てたい」。

Jリーグでプレーした経験を持ち、チームが活動を休止した震災直後の1年間は長崎でサッカーを続けながら女川の状況を全国に発信した中島さん。「コバルトーレがあるから、自分がサッカーを通じて知り合った全国の人に女川のことを知ってもらえる。それに、町の人もコバルトーレを応援することでつながれる。普段はしがらみがある人同士も、一緒にサッカーを応援すると仲間になれるんです」と、コバルトーレが地域と全国、そして地域の人同士をつなげる媒体となってきたことを実感している。

ごみ拾いからの出発

ゼネラルマネージャーの近江弘一さんは石巻出身。ウエットスーツ製造販売会社の創業役員として東京や横浜で活躍していたが、父親の死を契機に地域に貢献する生き 方を志向し、2006年にコバルトーレ女川を立ち上げた 。

トップとU-15から活動を開始したが、トップはよそ者の集まり。選手は時間さえあればチームのジャージを着て町のごみを拾って歩いた。お祭りの手伝いや子供たちとのふれあいをコツコツと続け、また、地元の人に交じって水産加工会社などで働きながら、町民との信頼関係を築いた。2008年にはU-18を立ち上げ、生徒が減ってサッカー部の活動ができなくなった女川高校から部員を受け入れる選手指導提携を締結。さらに教育委員会の指導のもと公共施設を利用できる施設利用提携を結び、公共と役割を相互補完しながら活動している。今では女川町長からも「今度、祭り来れますか?」と声をかけられる。

サッカーが学びや楽しみ、観光のコンテンツとなり町を活気づける

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