まちづくりNPOの可能性−いわき市勿来地区の取り組みにみる−【前編】

フェーズとともに変化するNPOの役割を考える

 「心をひとつに、新しいまちづくりを」。各地域で聞かれるこの願いに、NPOが大きな役割を果たしている地域がある。福島県いわき市、勿来(なこそ)地区。原発に近い双葉町から避難してきた仮設住宅住民をケアしながら、住民を巻き込み、未来へ向けたまちづくりを推進しているのは「なこそ復興プロジェクト」を推進するNPO法人「勿来まちづくりサポートセンター」。彼らの活動とビジョンに注目した。

状況と共に変化を続ける

なこそ復興プロジェクト

 震災から11ヶ月。震災直後の緊急事態から、交通・住居等インフラ整備の復旧期、生活再建・産業復興・まちづくりが課題となった復興期へ、被災地における「フェーズの変化」を耳にするようになり久しい。各地で活動するNPO等の団体にも現場ニーズに応じた変化が求められる中、着実にその取り組みを変化させ地域に貢献してきた、「勿来まちづくりサポートセンター」。

 元々まちづくりNPOとして活動してきたが、震災後は行政に先駆けて活動を開始。倒壊した家屋の片づけ、家財の整理、避難所におけるさまざまなケア、独居生活者や在宅避難者への物資配達等きめ細やかな活動を行いながら、昨年4月9日に「いわき市勿来地区災害ボランティアセンター」を立ち上げた。以来5月20日の活動休止までに、約50人のスタッフと共に延べ4200人を超えるボランティアを動員した。

 また先手を打つ行動力はそれに留まらず、ゴールデンウィークを過ぎ瓦礫処理や物資援助に目処がつき始めた頃から次の動きを開始した。避難先の生活課題や原発事故による風評被害等、複雑化した問題に対処すべく、「復興計画」・「地域支援」・「生活対応」の3グループ体制で新たに「なこそ復興プロジェクト」を立ち上げたのは、6月6日のことだった。

高い目線と地域への寄り添い

なこそ復興プロジェクト

全体会議の様子

 「この震災を負の遺産として残してはならない」という、NPO代表の舘さんの思いを実現する事業のひとつが、「復興計画グループ」の推進する「復興公園」プロジェクトだ。海岸沿いに無残に横たわる破壊された防潮堤を日々目にしていて思いついたという復興公園構想。壊れた防潮堤を復興のシンボルとして建立し、震災の脅威と防災の心構えを後世へ残すとともに、観光復興の足がかりにしたいという。「原発の風評被害は数年続くだろうが、10年20年は続かない。風評被害が下火になった時に仕掛けられるものを今のうちから準備しておく必要がある」。舘さんの目は未来を見つめている。

 また震災から1年にあたる3月10日・11日に企画している「なこその希望『鎮魂祭(ちんこんさい)』」も代表の舘さんの強い思いから始まったもの。北海道から沖縄までのさまざまなアーティスト、伝統芸能、地元の学校などが出演し大規模なイベントを開催する予定だ。「亡くなった人の命日に祭りじゃないだろ」と反対の声もあった。しかし魂を沈める・追悼するという気持ちと、明日の希望のために力強く祭りをやるという気持ち、今必要なのは「どっちかだけじゃないんだ」と訴え、若者を中心に多くの市民がプロジェクトチームに加わった。

 一方、「地域支援グループ」では各地域の自治会などと連携し、今後のまちづくりに必要な知識のレクチャーや、住民の意見の取りまとめと図式化などを、外部のコンサルタントを交えながら丁寧に行っている。高台移転の合意形成調整など難題も多い中、こうした活動で民意に沿ったまちづくりを実現するのが目的だ。また、「生活対応グループ」では生活に役立つ情報をまとめた会報誌の発行、ストレス発散のためのサロン運営、原発に近い双葉町からの避難者の住む仮設住宅へのコミュニティ支援活動などを行っている。

 このように、グループに分けた運営を行うことで、ビジョンを元にした高い目線での活動と平行して、地道に地域と寄り添う支援活動を行っていることが「なこそ復興プロジェクト」の特長と言えるだろう。

■なこそ復興プロジェクトの活動
【後編へつづく】

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