参入者への複合的サポートで地域に求心力
次世代が受け継ぐ地元愛と、市を越えた団結が鍵
「能登半島が盛り上がっているらしい」と噂を聞き付け、そのキーマンに会いに石川県に飛んだ。能登半島はちょうど東京都とほぼ同じ面積で、人口は約40分の一の30万人弱だ。小松空港から車で1時間半、半島の中心部東側にある七尾市(人口約5万7千人)へ。迎えてくれたのは、まちづくり会社・(株)御祓川(みそぎがわ)の森山明能(あきよし)さん29歳だ。
1999年という、まちづくり会社がまだ珍しかった時期に完全民間資本5千万円で設立した同社。森山さんの父が代表を務めていたが、5年前、姉・奈美さんが代表となり、現在は姉弟で運営に関わっている。
今なぜ能登がアツいのか、まちづくりはいかに次世代に引き継がれたのか。七尾の街を歩きながら話を伺った。
99年、(株)御祓川設立の背景には、港の衰退、人口流出などの問題から生まれた「七尾マリンシティ構想」がある。港に建てた商業施設と徒歩10分の七尾駅を結ぶ、御祓川沿いにシンボルロードを整備した超コンパクト・シティ構想だった。
同社はハコモノの整備だけでは果たされない、住民のにぎわい創出や、持続可能・循環型の社会づくり、担い手づくりを目指し、「まち育て」「みせ育て」「ひと育て」の3つを柱に、川の浄化や店舗整備、コミュニティ行事など、多くのプロジェクトを行ってきた。
無理せず皆で協力しありのままを活かす
プロジェクト推進で特徴的なのは、その時々で複数の団体が連携を組み、実行委員会を形成している点。(株)御祓川がすべてを主催するのではなく、企業やNPO、商工会議所や町内会、役場の各課とさまざまな担い手をコーディネートすることで、街を活性化させている。
シンボルロードと十字に交差する一本杉通りの商店街を歩くと、タイムスリップしたかのような、古風なろうそく屋、乾物屋、醤油屋などが並んでいた。登録有形文化財に指定された、明治建造の木造家屋もある。通りのほとんどの店が掲げる「?」の看板は、「語り部処」を示すもの。商品作りの工程や昔話などを店の人に気軽に聞くことができる。
お茶屋の店主・北島さんが聞かせてくれたのは、昭和の終わりにバイパスが逸れて開通し、観光客が減ってからの苦労話。何か策を打たねばと悩む中、月に2組は必ず視察に訪れる人々がいた。北島さんは彼らに、街のどこがいいのか聞き続けた。出てきた答えは、道幅がちょうどいいとか、色々な店があっていいとか、レトロな町並みがいいという、素朴なもの。「じゃあレトロな町並みをもっと整備しよう」と意気込むと、視察者の誰もがそのままがいいと反対した。北島さんは「ありのままが財」と気付き、地域の持つものを活かした「語り部処」のアイデアが生まれたという。
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