参画者に地域一丸で複合的なサポート
市内での事業に加えて、(株)御祓川は「能登」を冠した事業にも取り組む。そのきっかけは、07年3月の能登半島地震だった。M6・9、各地で被害を受け、「能登には守りたい暮らしがある」という共通の想いが強まり、半島での団結につながった。
同社は自社事業とオール能登で行う事業とを組み合わせ、新しい公共・ビジネスの担い手へ向けて、ニーズや悩みに先回りしたワンストップのサポートモデルを構築している。(※下図)
まず地域の飲み会イベントで地元の人々と交流し、オンパクでやりたいことをプロジェクト化して挑戦。運営などの知識は各種講座で学べ、資金が足りないなら県単位で「志金」を集めるクラウドファンディングの枠組みを、人が必要ならインターン制度を活用できる。できた商品やサービスを売るためのノウハウもオンラインショップという場も、さらにシェアオフィスも用意されている。
このような複合的なプログラムの整備は、1つの市や町の中だけ、また一団体だけで実現するのは難しく、地域外へ向けたインパクトも少ない。東北で言えば、例えば「北三陸」や「気仙地方」など少し広域のエリアで捉え、その中で複数の団体が参画、連携して一つの枠組みを創り上げ、全国へ発信するイメージだろう。
地域への想いの継承は親の教育と祭りから
森山さんは、高校時代にアメリカへ留学し、大学は慶応大学総合政策学部を卒業した29歳。なぜ都市や海外で活躍する道を選ばず、地元に戻ったのか。
「完全に親の影響ですね。幼い頃から『将来は地域の役に立つんだ。そのために外で学んで帰って来い』と言われ続けてましたから」。
これに、同席していた森山さんの同級生、吉田翔さんが頷く。「そう。彼は高校の時から将来は地元で!と言い続けていて。僕も影響されて戻ってきたんです」。吉田さんはイタリアで修業し東京で働いたデザイナー。3年前に奥能登の珠洲(すず)市にUターンした。彼が企画・販売に携わった「塩サイダー」は、初年度25万本の大ヒットを記録、「能登スタイルストア」の人気商品になっている。
「地域への想いを強くしてくれるのは、あとは祭りですね」と森山さん。日本一大きな山車を引く「青柏(せいはく)祭」では、終盤、町衆が唄い上げる「七尾まだら」を一緒に唄いながら「俺はここで生まれ・生きていくんだ」との感動で涙が溢れるという。
大人たちが誇りと熱を持って伝えた地域への想いが、世代を越え、30代、20代へと引き継がれている七尾市。その七尾の若い世代が他地域とのネットワークをつくり、小さくてもたくさんのプロジェクトを進め、能登半島を盛り上げている。それが、今回私たちが「何だか盛り上がっている」と引き寄せられたような求心力を生み、市や半島のファン、Uターン者、移住者を生んでいるのだろう。
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